俺の人生にトラマナはない
死にたい状況に陥った原因が完全に自分にあったとして、「死にたいのですが」と誰かに言ったところで助けてくれるのか。
自業自得だと周囲は思うだろう。
誰も止めない。だからそういう人は「死にたいです」なんてそうそう言わない。
でもその結果、本当に死んでしまったら、どうだろう。
なんで死んだのかな、俺は悪くないよな、私のせいかな、あいつは死んで当然だ、そういえばあいつ、こんなこと言ってたな、あいつこういう状況だったらしいよ。そうかそれで死んだのか。死ぬのは仕方なかったんだな。
好き勝手言う。それは間違いない。
いや、全く話題にならない可能性もある。
たかが70億のうちの1人が死んだだけ。
例えば死んだ奴と、連絡も取れないような所へ長期の旅行に行った奴、何が違う?
ただ連絡が取れないところに行っただけ。
特段話題にする必要なんてない。
どうでもいい。
ただ世間体のため、悲しんだふりをする。
君もそうだろ?
違う?君は悲しむのか?皆普通は悲しむ?
ではなぜ、人は他人の死について悲しむのか。
人が死んだ時に泣く。その行為は。死んだ奴のためではない。
こうしとけばよかったという、自身の後悔の念だ。
もう取り返しがつかないという、現実に対して泣いている。
死人に恨まれるのが怖いか?
「お前がこうしたからおれは死んだんだ!」と言われるが如く、死人に恨まれていると、最悪殺されると、多くの人は心の奥底で無意識に感じているのだ。
良くも悪くも、死人に口なし。
死んだ理由なんて、分かりゃしない。
遺書だって本当の気持ちかわからない。
本心は死んだそいつだけが知っている。
でも生前にあいつはこう言ってたっけ。
ばかたれが!生前にそいつが言っていたことが本心だったという保証は?
そいつが死んだ後、そいつに関して好きなだけ持論をかざして、自分のあの行為は間違っちゃいない、はたまた死んだのは自分のせいではないと証明するかのごとく、くっちゃべるがいいさ。
ヘドが出るほど、それは意味のない行為。