ベンガルトラ
手足が痺れる感覚。この感覚が常に、そしてもっと欲しい。日常的に、だけれども最低限の理性的判断が可能な境界線。
この現代、科学の発展は凄まじい。
なのにどうだ、たかが10%にもいかないような、酎ハイ1本で痺れるほど脳は狂うのだ。
20代からこの感覚は知っていた。
なのに30代になってようやくその儚い破壊的な尊さに気づいた。20代で知りたかった。
脳を狂わせるのはすぐだ。アルコールを摂取して、爆音で音楽をかけるだけで整う。
毛皮のマリーズの「人生」がいい。
音が割れる爆音を聴きながら、視野が狭くなるくらい痺れる感覚を持ちながらのヘッドバンキング、そしてそのままシャワー、歯磨き。
これこそが人生だ。
金がなくとも、名声がなくとも、今、この瞬間だけが生きていて、本物だ。その時だけ生きていればいい。
輝いている他人の人生とは真逆に感じるような、寝る前の歯磨きという現実。
酔いが覚めて死にたくなったら死ねばいい。死ねる方法はいくらでもある。
代々木駅の山手線は自殺防止策が無いぞ。
死のうと思えばいつでも死ねる。
デレデレ笑ってlife
周りにヘコヘコして、悲しいかな、それが人生だ。極力人と接しなければストレスなんてない。全て無視すればいい。
しかし接さないと、刺激はない。
戯れるだけが刺激か。
セックスだけが娯楽ではない
陰茎痺れるまでしこり果ててみろ。
性的快感が、それほど素晴らしくないことが分かる。
1人で行う行為は何も変わらないが、戯れたとしても何も変わらない。
全てははその場しのぎ。
その場さえしのげれば、明日は来るのだ。
その明日が楽しいものでも、そうでなくとも、その無意味のような生存を続けることで、世界は回る。
そんな世界なんて、回らなくていい。
全てが痺れて狭くなっている今、それが真実だ。
救世主
ストロング缶。
これだけが自分の日常を救う!
夕飯はおつまみ吊るしベーコンとストロング缶。
帰宅途中、死にたい気持ちをなんとかネットサーフィンで抑えて帰宅する。
その後ストロング缶を飲むことで全てをボカす。
これだけで自分、そして世界が救われる。
ストロング缶は神だ。
順番に関すること
弁当に入っている果物が個人的に嫌いだ。
仕事場の会議で、時々弁当が支給される。
時にはうな重や寿司と言った超絶豪勢な弁当の時もあるにはあるが、そんな高級弁当はごく稀で、ガチャでいいやつが当たるくらいレアだと思う。スマホゲーはよく知らないが、多分それくらいの確率だ。
要はほとんど出ない。
大抵は色んなおかずが入っている弁当である。
とりあえずここでは「なんでも弁当」と名付けることにする。
なんでも弁当はある意味豪華…なのだけれど、「これだけ入れたらお前らの好きなものは、何か1つくらいあるだろ?」と言っているかの如く、本当に全てが少しずつ入っている。
先日出てきた何でも弁当には、天ぷら、卵焼き、かまぼこ、根菜、焼き魚、焼売、プチトマト、ポテトサラダ…そして極め付けに、混ぜご飯の上に牛タンとローストビーフが乗っていた。
豪勢だが、畳み掛けるようなその勢いに多少の狂気も感じる。
ここまでは素晴らしいが、問題が1つ。
苺とぶどうも入っている事だ。
ご飯を食べる際の自分ルールというものが、人にはある。
例えば「好きなものは最後に食べる」なんかがそれで、自分もこのルールを取り入れているが、これに加えて「基本、残さず食べる」というルールを設けている。
そのルール内での果物は、個人的に悩ましい立ち位置だ。
社会には「果物はデザート、最後に食べるもの」みたいな、そういう暗黙の了解的なやつがある。
しかし個人的には、果物より肉を最後に食べた方が確実に幸せだ。果物はそれほど好きではない。
果物はめちゃめちゃ甘いわけでもなく、かといっておかずには出来ない程度の半端な甘さがある。というか酸っぱい時も多い。デザートとして個人的にはあまり食べたくない。
しかしながら途中で食べると後味が意外と残り、後のおかずに影響を与える可能性もある。場合によっては他のおかずに果汁が混ざって異国の料理のような味になっている時もある。
弁当に入っている果物は、食べる順番や他のおかずの味を混乱させる。
悩んでいると、弁当内にプチトマトを見つけた。
プチトマトも好きではない。
あれは普通に酸っぱい。
そもそもトマトを甘いという人は、甘いの使い方が間違っているとさえ思う。
プチトマトも、そういう意味では果物と扱いが似ている。
考えた末、プチトマトを食べた後にその勢いで苺とぶどうも一気に食べる事にした。
どうせ自分には全部酸っぱく感じるのだ。
案外、うまくいった。
3つの味は混ざって、美味しいとはいえないが、決して不味くはなかったように感じた。
多分味を感じる前に飲み込んでいた。
結果、最後に肉を食べられた。幸せだった。
伝えたかったことは
「いつも美味しいお弁当をありがとうございます」
ということ。
防御固体値12
急遽引越しが決まった。
正確には急遽ではない。
以前から物件をぽりぽりと探していて「引越しという労力を割いてまでここに決めることはないだろ…」とかうだうだ諦める理由を探していたのに、最終的にはほぼ勢いでガツンと決まった。
物件を手当たり次第探しまくると、外せない条件を半分は満たしてるような、そこそこ良い物件はぽつぽつ出てくる。
物件探し序盤は、なにかとマイナスポイントを探して諦められるが、しばらく探していると、どこかで今回の物件探しの限界が分かってくる。たぶんここら辺では○○な物件は少ないとか、こういう物件はここまで条件範囲広げないとないな、とか。
そうなってきて「外せない条件をほぼ満たしているけど、1〜2個くらい微妙な点がある物件」が出てきた時、この時の判断が難しい。
「この物件を諦めると、これ以上の条件の物件が見つからない限りは引越しできないことになる。かといって、これ以上探して物件が見つかる可能性はあるか、諦めたのち探す時間はどれほどかかるか…」と悩むのである。
この現象は、伝説のポケモンの厳選時に頻繁に起こり、ポケモンをやっている友人は「あー防御の固体値!これでいいか!?」とよく叫んでいた。
ポケモンだけでない。時間に制限がある中で何かを選ぶ時はいつも、どこに妥協点を置くかが非常に大切だ。そしてその妥協して諦めた点が、時間が経つと意外と良い方向に転がって結果オーライになってたりするのである。
今住んでいる街に初めて引っ越してきた時もそんな感じだったが、その話はまたいつか書きたいと思う。